セルマー・マカフェリ | Manouche JAZZ

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セルマー・マカフェリ

セルマー/マカフェリ・ギター
セルマー製オリジナルは1932年から1952年の20年間に、わずか1,000本あまりしか製造されなかった。
だがしかし、この偉大なギターは、世界中の優秀なギター職人の手によって、いまもレプリカとして完璧に現代に再生している。


アンリ・セルマー(Henri Selmer)1858-1941
音楽学校卒業後、クラリネット奏者となり軍楽隊を経てオペラ・コミック・オーケストラの団員となる。
クラリネットのリードの出来が不満で自作するようになる。そしてリードとマウスピースの小さな工房を開くと、またたく間に評判になる。


マリオ・マカフェリ(Mario Maccaferri)1900-1990
イタリアで生まれ、Maccaferriは、クラシックギタリストとしての訓練を受けていた1926年にシエナの音楽院の教授となった。 1931~1933年の間セルマーにギター職人として在籍。いわゆるDホールを作ったのがマリオ・マカフェリ。マカフェリがセルマー退職後にオーヴァルホールは作られた為、オーヴァルホールを「セルマーギター」と呼び、Dホールを「マカフェリギター」と呼ぶ。


ジャンゴとセルマー/マカフェリギターとの出会い
ジャンゴラインハルトヨーロッパ中に戦火が広がった1940年頃、ジャンゴラインハルトは自身のトレードマークとなる小さなサウンドホールと14フレットジョイントの長いネックが特徴的なセルマーギター(No.503)を手に入れた。




セルマーの歴史

1900年
ルマー、パリで工房を兼ねた店を開く。リード、マウスの他に、バイオリンの販売、修理も手がける。
月20日、マリオ・マカフェリがイタリアのセントに生まれる。その後、9歳で学校を退学し、食器洗い、大工、義歯師の仕事に就く。家族で音楽に興味を示したのはマリオだけで、幼い時から兄弟の間では「教授」と呼ばれていた。

1911年
カフェリ、ルイジ・モッザーニに弟子入りする。モッザーニは、1908年にセントで楽器製作のための学校を設立した有名なギター職人、かつ優れたギタリストで、そこでマカフェリは、ギター、バイオリン、チェロ、マンドリンなどの製作技術とクラシック・ギター双方を学ぶなど大きな影響を受けた。

1914年
ルマー社、社員のアンリ・ルフェーブルの提案で、その後の社運を決定づけることとなるサックスの開発をはじめる。

1922年
カフェリ、ヨーロッパ・ツアーを行う。当時の批評家たちに、セゴビアと同等に評価されるほど有名になる。
ともと弦楽器製作に熱意のあった彼は、セントに自作の楽器(ギター、マンドリン、バイオリン)を販売する店を開く。

1926年
カフェリのギタリストとしての功績に対して、母校シエナ・アカデミー・オブ・ミュージックから優秀賞を受けるとともに、ギター専攻科の講師に就任。

1927年
カフェリ、パリに移り住む。この頃、バイオリンを数本製作し、ローマの国際博覧会賞など、数々の最高賞を受賞するが、翌年ロンドンに移住し、ギター講師となる。その時の生徒の一人に、後にイギリス国王エドワード8世となる皇太子も含まれていた。
の頃、ロンドンで家具職人と出会い、彼の行為で木材や機会を利用して、新しいギターの試作品を製作する。

1931年
頭、マカフェリはセルマー社ロンドン支店を訪ね、試作品を見せる。同店マネージャーのベン・デイビスはさっそくセルマーに進言。ギター製作に疎いセルマーは、すべてのプロジェクト・マネージメントをマカフェリに一任。マンテ(Mante le VIlle)にある工場の一部に工房を置き、必要な施設と材料を提供した。このため、4月、マカフェリは再びパリに戻る。
ン・デイビスのアドバイスに従って、セルマーはマカフェリに対して、クラシックギターだけでなく、スティ−ル弦を使うジャズモデルとハワイアンモデルの製空くを拡大するように要請する。

1932年
ルマー社は、マカフェリ・デザインの記念すべきギターを発表。指板は幅広くフラット。特徴のあるDホール。ハイ・ポジションが弾きやすいようにカッタウェイが施され、2ピース・ブリッジ・サドル、また世界初のカバー付きチューニング・ギアの採用など、革新的なものであった。
カタログには、ジャズ・モデル、コンサート(クラシック)・モデル、ハワイアン・モデルに加え、通常のクラシック・ギターのデザインを持つエスパニョール・モデルが掲載された。そして後に、4弦のテナー・モデルが追加される。この1年間のギター総製作本数は約200本だった。

1933年
月、当時人気のあったテナー・ギター奏者、エディ・フリーマンのアイデアによる大型でゲージの太い現を仕様するエディ・フリーマン・モデルを発表。
末、マカフェリは、わずか2年あまりでセルマー社を退社する。マカフェリの雇用契約にからんでセルマーとの確執があったためとされるが、その詳細については不明だ。これに伴い、ボディ内部に貼られているラベルから「マリオ・マカフェリの技術と監督による」という文字がスミで塗りつぶされる。こうした騒動にもかかわらずフランスでのギターの需要はふくれあがり、この年だけでも200本弱が製作された。
1930半ばになると、セルマー・ギターはヨーロッパのダンス・バンドやジャズグループの間で人気が高まる。販促に重要な役割を果たしたのがジャンゴ・ラインハルトで、特に彼が使用していたジャズ・モデルは、セルマー・ギターの大半を占めるようになった。
初、セルマー社のすべての製品はイギリスに輸出されていたが、その後ヨーロッパの主要都市でも販売されるようになった。セルマー社は、世界各地に支店や販売代理店を置いていたが、ギターに関してはアメリカの市場で販売されることはなかった。マーティンやギブソンといった巨大なブランドとの競争を避けるためだったと言われている。

1934年
カフェリがセルマー社を去った後、ジャズモデルを除いてギターの製作は急速に衰えていく。この後、2年くらいは、お客の要望に応じてカスタム性の強いモデルが作られていく。丸形のサウンドホール・モデル、ソリッド・ペグヘッドなどが作られた。また、仕様変更も行われた。
その1つがマカフェリ設計の最大の特徴であったボディ内部のサウンドボックスを削除することだった。これは修理の妨げにもなり、サウンドもこれが無いほうが良いという意見が多かった。この後1936年シリアル#500くらいまでに様々な改良が行われる。
ーヴァル・ホール、14フレット・モデルの第1号機(#400)が作られる。サウンドボックスの除去、14フレットのアイデアはジャンゴの指示によるところが大きいといわれる。
グヘッドからマカフェリとパテント番号が消される。

1936年
ルマー・ギターの究極の仕様であり、その特徴を決定づけるオーヴァル(楕円形)・ホール、14フレット・ネックのモデルが正式に発表される。その他のモデルは、カスタム・オーダーとなった。ジャンゴはこのオーヴァル・ホールのギターを生涯使い続けたが、弟のジョセフは5重奏団のなかで、12フレットのDホール・モデルでリズムを刻んでいた。

1941年
ルマー社の創設者、アンリ・セルマー死去
間のギター製作本数は、実質的に初年度に比べて激減したが、製作は1942年まで続けられた。第二次世界大戦が終了する1945年までは材料の入手や製品の輸出が困難な激動の時代で、セルマー社は、自転車の空気入れの製造まで余儀なくされた。

1946年
590からギター製作が再開する。
ティマー・ピックアップ搭載モデルが作られる。
リアル#610を境に、翌年の#645まで34台が、それまでのインディアン・ローズウッドの化粧板を持つ合板ボディからマホガニー合板に変更される。その後再びローズウッドとなり、1949年中(#700台)から製造中止されるまでハカランダ(ブラジリアン・ローズウッド)合板仕様となる(バーズアイ・メープル仕様もごくわずか作られた)

1952年
11月、ギター部門が閉鎖。その時この部門の職人はたった1人だった。1932年からのわずか20年で製作されたセルマー・ギターは1000本あまりとごくわずかであった。しかし、間をおかずに、フランスや他国の職人たちによって、セルマー・ギターのレプリカが製作されはじめる。
11月25日、未完成品を含む在庫品、材料、各種ジグ、型板、パーツなどセルマー・ギター製作に関する全てのものが、パリのギター職人ジャン・ブゥシェールに売却される。当時、セルマー社の重役たちは、ビジネスとしてのギター製作に関心を示さなかったのである。しかし、皮肉なことにギターの市場はこの時期から確実に拡大をはじめたということは歴史が証明している。
ゥシェールはこの後、残っていたギターや未完成品を仕上げて自分の店で売っていたが、1960年代の終わり頃に、当時セルマーのレプリカ製作家としてはもっとも有名だったジャック・ファビィノにバラバラの材料を使ってギターを仕上げてもらう。これらは全てセルマーのロゴが入ったペグヘッドのまま販売されたが(ボディ内のラベルは貼られていない)、ボディのサイズ(特に下部ぼ横幅)はファビィノと同様に大きいものであった。
セルマーが製造中止になる頃のネック材は、それまでのウォルナットから、より堅いローズウッドに変更されていたため、これらはいずれもローズウッド・ネックであった。ファヴィノは堅いローズウッドをノミで削るのに飽き飽きして10台作ったところで、この仕事を断ったという。

ルマー社は管楽器の代表的なメーカーとして現存する。
※参考文献:「The Story of SELMER/MACCAFERRI Guitars」by Francois CHARLE
「The Django Reinhardt Swing Page」by Steve Royall (http://www.hotclub.co.uk/index.html)


レプリカ

セルマー/マカフェリギターのレプリカを製作しているギター職人/メーカーをご紹介します。

Favino
Selmerに次ぐ老舗ブランド。Jacques Favinoから1978年に工房を引き継ぎ、現在もなお生産を続けるJean-Pierre。ただ、現在は以前からパリにあった工房をフランスの南西部に移し、年間およそ15本のみを生産するだけなので、中古はおろか新品ですら入手困難なブランド。

BUSATO
こちらもSelmerに次ぐ老舗ブランド。イタリアから移住してきたギター職人。ブサトの第一の特徴はオーヴァル・ホールがセルマーより高い位置にあることである。

Di MAURO
こちらもセルマーのレプリカとしては最も古いグループに所属する。
初代のアントワーヌ・ディ・マウロはイタリアからの移民で、1932年にパリに移住し、ギターとマンドリンの製作をはじめ、当時有名だったM.Majocciに認められた。Fホールにアーチバックを付けたモデルが有名。ディ・マウロには3人の息子がおり一番下のジョセフ・ディ・マウロは1993年6月まで現役だった。
アンリ・サルヴァドール、マテロ・フェレ、パット・メセニーなども愛用。

ANASTASIO
アナスタシオの初代はフランス生まれのシシリー人で、1955年にギターを作り始めている。2台目のピエールは1990年まで現役であった。作品の出来にはムラがあり評判はイマイチであったが、中には驚くほど優れたモデルも残っている。

CASTELLUCCIA
カステルチアもディ・マウロと並ぶ歴史のあるイタリア系ギター職人。現在のジャン・バプティス・カステルチアは三代目にあたり、1946年からの伝統を引き継いでいる。

Dupont
セルマー・ギターの修理を手がけてきたフランスのクラシック・ギター製作家モーリス・デュポン。
1981年から極上ブランデーの産地として名高いコニャックでギター工房を開き、セルマー・タイプは 1986年から作り始めた比較的新しい作家だが、セルマーのレプリカを作ることに関しては飛び抜けた才能を持っていたため、プロ、アマ問わずあっという間に名が知れ渡った。また、生産に関しても複数の職人を使うなど、供給面でも優れているため、市場はまるでセルマーのギターが現役だった頃のような活気を取り戻したといっても過言ではない。

Philippe MONERET
フィリップ・モナレは、19世紀から続く由緒正しい楽器メーカー「ジェローム」直系の職人。もともとバイオリン職人で、ギターを作り始めたのは1986年からである。

Le Voi
イギリス人のベテランビルダーJohn Le Voi(ジョン・ル・ヴォワ)。13歳ではじめてギター製作。1970年からプロになり1976年からセルマー・マカフェリのレプリカを作り始める。

Jean-Noel LEBRETON
ジャン・ノエル・リプレトンは1989年にロンドンのCollege of Furnitureを卒業後、クラシックとフラメンコ・ギターの製作をはじめ、1998年からセルマー・レプリカを作り始めた職人。

Leo EIMERS
セルマ/マカフェリ・レプリカ専門のギター職人として、最近とくに評判が高いオランダのレオ・エイマース。ストーケロ・ローゼンバーグが所有しているセルマー#504を徹底的に模倣したモデルなどがある。

Klaus Roder
ドイツのギター職人。クラウス・ローダーは楽器職人として数々の修行後「マイスター」の学位をとった本格的なルシアーである。作風は重厚で、どの楽器も芸術品と呼べるほどのオリジナリティと完成度を持っている。

Dell Arte
アラン・コーラがメキシコで作っていたがジョン・キナードと意気投合し、1998年10月新たにスタート。
Dorado SchmittやAngelo DebarreやJimmy Rosengergなどのシグネイチャーモデルがある。

GITANE
GITANEブランドのセルマー・マカフェリ・レプリカ・シリーズはSAGA Musical Instruments社がリリースしており、日本ではHOSCO社が販売しています(HOSCO社の前身がサガジャパン)。コストパフォーマンスに大変優れており、低価格帯のモデルでもクォリティの高いものが多い。※製造は中国。


マヌーシュギター弦

マヌーシュギターの弦は近所の楽器屋さんではあまり取り扱ってないことが多いです。
ここでは通販も行っている大阪のマヌーシュギター専門店STRINGPHONICさんで取り扱っている弦を紹介いたします。ここに掲載されていない弦もSTRINGPHONICさんにはたくさんあります。欲しい場合はSTRINGPHONICさんのサイトのページをご覧ください。

Savarez Argentine
マカフェリ用の弦の中ではもっとも古い歴史を持つ弦。
かつてはあのジャンゴも使っていたと言われるほど、あまりにも有名な弦です。
PYRAMID STRINGS
ギター、ベース用の弦はもとより、バイオリンやリュート、バロックギターなどバロック音楽にはなくてはならない弦楽器用の弦をはじめ、ギター、マンドリン、バンジョーなど私たちにも馴染みの深い弦まで幅広く生産しているドイツの超老舗総合弦メーカー。創業はなんと1850年!!日本国内でもコアなファンが多い事でも有名です。
Lenzner Strings
ドイツの老舗ハンドメイド弦メーカーLenzner(レンツナー)。ドイツのメーカーはどこも歴史が古く、このLenznerもバイオリンやギター、ウクレレ、ヨーロッパの民族楽器など弦楽器全般の専用弦を作り続けており、低価格の割には品質が良く、更に他のメーカーの弦と比べるとギラギラ感もなく、程よく抑えられた高域と低域が非常にパワフルなのが特徴的です。
D’Addario EJ-83M Gypsy Jazz
ダダリオから満を持して登場。パッケージデザイン通りのジプシージャズ専用弦。さすがは世界最大のメーカーだけあって品質にムラもなく、音質はかなりブライトでパワフル。

ピック

マヌーシュジャズ(ジプシージャズ)のギタリストはとても分厚いピックを使う人が多く、とくにセルマー/マカフェリタイプのギターでリズムを刻む場合には絶対条件となるといっても過言ではないのです。ピックも同様に近所の楽器屋さんではあまり取り扱ってないことが多いです。
こちらでもマヌーシュギター専門店STRINGPHONICさんで取り扱っているピックを紹介いたします。商品購入についてはSTRINGPHONICさんのサイトをご覧ください。

Wegen Picks

ウェーゲンピックは、オランダのエンジニア、ミシェル・ウェーゲンが開発したジプシージャズ専用ピックで、他のピックに比べ、なによりも優れている点は弦に当たった時の感触が非常に良い点だ。素材は特殊なプラスティックを使っていて、通常のプラスティックが持つ使用していると少しザラザラしてそのまま使えなくなるといった違和感がまるでない。価格は通常のピックよりかなり高いが長持ちするのでコストパフォーマンスは非常に高い。しかし、紛失にはくれぐれも気をつけてください。