Manouche JAZZ for JAPAN

マヌーシュジャズ for JAPAN

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ミュージシャン

◆フランス

Stepane Grapperi ステファン・グラッペリ(1908 – 1997)

ステファン・グラッペリ(Stéphane Grappelli, 1908年1月26日 – 1997年12月1日)
は、フランス生没のジャズ・ヴァイオリニスト。
ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトの相方としても知られ、彼と共に
「フランス・ホットクラブ五重奏団(the Quintette du Hot Club de France)」を結成し、
第二次世界大戦前から晩年まで精力的な演奏活動を続けた。 ジャズ・ヴァイオリニストの第一人者として
、長年に渡って晩年まで第一線で活躍した。
彼は晩年、ジャズ以外の分野の演奏家とも共演し、特にクラシック分野ではユーディ・メニューインやヨー・ヨー・マ
らとの共演が有名であり、いずれも高い評価を受けている。
メニューインとは英国BBCテレビでの共演をきっかけに、数枚のアルバムを録音した。

Baro Ferret  バロ・フェレ(1908 – 1976)

Pierre Baro Ferret(バロ・フェレ)は1908年にフランスのルーアンで生まれた。
3人兄弟の長男で、彼は幼い頃からミュージシャンとしての才能を示した。
地元のダンスホールの短い見習いの後、彼はパリに移住した。
彼はすぐには、バルス-ミュゼットのギタリストとして先駆者となり、
また偉大なジャズギタリストと約80のレコードを録音し、ジャンゴラインハルト
のお気に入りの楽団員でした。彼はあまりにもできるジャズマンだった。
Baroは、作曲家、ワルツの通訳として有名です。
Gus Viseurと共同で制作した彼の初期のバランス-ミュゼットは、
最も美しいスタイルでかつ洗練されていた。
ギタリストとして彼は完璧な技術と独自の即興スタイルを持っていた。
戦争を離れ1960年に彼は、Bar”La Lanterne”を運営していた。

Sarane Ferret サラーヌ・フェレ(1912 – 1970)

Sarane Ferret(サラーヌ・フェレ)は、1912年にフランスのルーアンで生まれた。
兄のバロと同様に彼もまたパリに移住した。
すぐにその日のトップアコーディオンの伴奏として引っ張りだこになった。
サラーヌはGus ViseurやTony Murena、その他スウィングのアコーディオン奏者の多くの
レコーディングを行った。戦争中、彼は自身のクインテットを結成し、ヴォーグとRCAの録音をしました。
サラーヌのクインテットは、時にはジャンゴラインハルトやステファングラッペリのクインテットより有名な時期があった。
Sarraneは、強烈な個性とリーダーの気質を持っていた。彼の演奏は、常にフレージングの特定の繊細さと自制を持っていた。

そして熟練した作曲家、編曲者でもあった。彼はGusti Malhaの娘プーペガールと結婚していたが、子供がなかった。
近所ではよく知られている場所モンマルトルのシンプルな生活を送っていた。
1970年に死亡した。彼のクインテットの録音はコレクターの間でレアなものとして重宝されている。
いくつかは再リリースされている。

Matero Ferret マテロ・フェレ(1918 – 1989)

Jean Matelot Ferret(マテロ・フェレ)は、フランスのルーアンで生まれた。
3人兄弟の末っ子。彼はパリに行くことを成人になるまで待てず、家から離れた。
彼は13才の時、すでにバンジョーとバイオリンの熟練した腕を持っていた。
有名なバイオリニスト Jean Guelescoは バイオリンをやめギターをやるよう説得した。
そしてすぐにパリでキャバレーからモンパルナスのジャズクラブでバルス-ミュゼットを
プレイしていた。
マテロは、プロのギタリストであり、どのような環境でプレーすることができた。
Jo Privatと共に作った”Manouche-Partie”をはじめ、彼は50年以上続くキャリアの中で
たくさんのレコーディングをした。
マテロはしばしばジプシーのワルツのマスターと呼ばれるが、音楽のすべてのスタイルを知っていた。
実際に彼の全作品はとても幅広い。
1989年に亡くなった。彼は妻のジャクリーンと3人の息子、
Michel, Boulou, Eliosがいる。

Tchan Tchou Vidal(1923 – 1999)

Paul “Tchan Tchou” Vidal 1923年エクスアンプロヴァンスで生まれ。
中国人の叔母から”Tchan Tchou”の名前がついた。
家族の友人にジャンゴラインハルトがいて、ギターの手ほどきをジャンゴラインハルトから
うける。1946年、彼は彼らはいくつかのラジオやテレビの公演を行った
グループ名は「Hot Cub de Jazz of Lyon」

彼のプレースタイルは標準的なジプシージャズではなかった。彼はワルツを支持していた。
ジプシージャズの非常に人気のある技術的な部分を独自で応用し
彼の代表曲”La Gitane”が作られた。

当時はTchan Tchou Vidalのプレイスタイルはあまり認められてなかった。
しかし、現在彼のプレイはジャンゴラインハルト同様に評価されている。

1944年戦争中、Tony Murenaは彼のオーケストラのトロンボーン奏者グレンミラーと接触した。
1947年王シアヌーク自身アコーデオン前にカンボジアで演奏する。
1949年に彼がダンスリヴォリクールセルでステファングラッペリとジャンゴラインハルト共演。
翌年、彼はAstor Piazolla(アストルピアソラ)に会った。
1958年に彼はマルセルは、アンドレとルイVerchuren Ledrich伴う芸能人と管弦楽ミュゼット
ドラジオルクセンブルクAzzolaを設立する。
彼はまた、テレビ番組を”36 Chandelles(36キャンドル)”のホストをしていた。
彼は1970年に亡くなる。
ジャンゴラインハルト、Sarane Ferret、Matero Ferret、Henri Crolla、Didi Duprat
など多くのギタリストと共演している。

Jo Privat ジョ・プリバ(1919 – 1996)

Jo Privat(ジョ・プリヴァ)はフランスのアコーディオン奏者。
愛称は「Gitan blanc」または「Jo France」。
彼は500タイトルにも及ぶ、マヌーシュジャズの音源に参加している。
1996年4月3日死去、彼は4月12日に火葬された。お墓には彼の碑文を読むことができます。
“ここにタフな男がいる!”
ペールラシェーズに埋葬されている

Richard Galliano リシャール・ガリアーノ(1962 – )

リシャール・ガリアーノ(1950~)はフランスのカンヌで生まれた。
4才時にアコーディオンを始め、幼い時から数々の賞を受賞した。
その後ニースの音楽学校に進み、和声、対位法、トロンボーンを学ぶ。
ジャズピアニストのデューク・ジョーダンの影響を強く受け、ジャズに傾倒。
1973年クロード・ヌガロのオーケストラに加入し、アコーディオン兼作編曲者として活動した。
1980年代に入るとソロ活動を開始。1985年の初リーダー作品「スプリーン」が大きな評価を収め、一気に表舞台へと躍り出た。その後モダン・タンゴの雄アストル・ピアソラとの交流を経て、作曲活動により力を入れるようになった。フランス人の心、ミュゼットに対する創作活動は数々の賞を受賞し飛躍的な人気を集めるようになった今でも最も力を入れている分野だという。
アストル・ピアソラに唯一認められた蛇腹楽器奏者がリシャール・ガリアーノである。

Tchavolo Schmitt  チャボロ・シュミット(1954 – )

チャボロ・シュミットはジャンゴ・ラインハルトの最も忠実な後継者といわれるギタリスト。
1954年にパリで生まれる。父親がヴァイオリニスト、母親がギタリストという音楽芸人の家系で、6歳からギターを始める。
20代にはフェスティバルに出演するようになり、そのステージ・アクトはかなりの評判になった。
80年頃にホット・クラブ・ダ・シティというバンドを結成し、アルバムを発表。
が、その後は生来の気まぐれもあって、時々ジプシー系のフェスティバルなどで表舞台に登場する以外は、移住したストラスブールのカフェなどで気ままに演奏することで生計をたててきた。しかし、ジャンゴを彷彿とさせる巧みな演奏の評判はミュージシャンを中心に自然と広まり、やがて映画「ラッチョ・ドローム」(1993)、「僕のスウィング」(2003)でフィーチャーされることになる。
サントラ『僕のスウィング』では、オープニングをはじめ、チャボロの曲が全編で使用されている。

Dorado Schmitt ドラド・シュミット(1957 – )

1978年ドラドの最初のグループ”The Dorado Trio””。
ダブルベースにGino Reinhardt 、
リズムギターにHono Winterstein、
Claudio Favariも加入したが短期間であった。
ドラドは、メロディーに鋭い目で素晴らしい作曲家である。それを証明する
彼の曲『Bossa Dorado』ジプシーの古典として今でも演奏し続けられている。
1988年2月23日、交通事故で11日もの間、昏睡状態。
それは彼がトリオで再び演奏できるようになるまで、リハビリに2年を要した。

彼の息子サムソンシュミットも素晴らしいギタリストで現在活躍中。

ROSENBERG TRIO ローゼンバーグトリオ

Stochelo Rosenbergが中心となったトリオ。
滑らかで切れ味鋭い速弾きギターが魅力。
ストーケロローゼンバーグはオランダ南部ヘルモントの代々音楽を受け継ぐ
名門ジプシー一家に生まれ、10歳から父や叔父にギターを習い、ジャンゴの
曲を繰り返し聴き練習。1989年にThe Rosenberg Trio(ザ ローゼンバーグトリオ)
として『SERESTA』でレコード・レビュー。
以降、マヌーシュジャズ(マヌーシュスウィング)を代表するギタリストとして
着々とキャリアを積み、ソロ活動はもちろん、最近ではオーケストラとも共演。
2010年にビレリ・ラグレーンをゲストに迎え、ジャンゴ誕生100周年を記念して
作った入魂の新作アルバム『ジャンゴロリスト』を完成させた。

Angelo Debarre アンジェロ・ドゥバーレ(1962 – )

1962年8月仏サンドニに生まれ、8歳でギターを始める。マヌーシュ(ジプシー)の人々の間では、伝統が家族、世代を超え口承され、音楽は大きな位置を占める。
300から400のキャラヴァンが集まるマヌーシュのコミュニティに、音楽が絶える事は無いという。ジャンゴ・ラインハルトによって始まったジプシー・ジャズの音楽の伝統がこの文化の核心にあり、その音楽はダイナミズムと豊かさを失わない、永遠に生き続ける音楽だ。
アンジェロは13歳の時にはRaphael Faysのグループに加わるが、その後しばらくドラムに傾倒することになる。
1984年に最初のグループ“アンジェロ・ジャズ・カルテット”を結成し、翌年にはパリの有名なナイトクラブ”La Roue Fleurie”で人気を得る。また東ヨーロッパのジプシーなど様々なスタイルとのコラボレーションを行う。同年Serge Camps、Frank Anastasioと共に“Gypsy Guitars”をリリース。98年には初のリーダー作“Caprice”を発表。

Bireli Legrene ビレリ・ラグレーン(1966 – )

ビレリラグレーンは、1966年9月4日フランスのセバレーンで生まれた。
伝統的なマヌーシュ-ロマーニ人(ジプシー)の家族、地域社会で育つ。
彼は4歳でギターを弾き始めた。
彼の父Fisso(非常に才能豊かなバイオリニスト)、彼の母親Bergaに音楽的な影響を大変受ける。
弟はGaiti。
8歳の時、彼はジャンゴラインハルトのレパートリーをカバーしたとき、彼の親戚はすでに彼を神童と呼んでいた。
12歳の時ストラスブールのロマ音楽祭で受賞した。その賞で
米国に行くきっかけを与えられた。そして米国でビレリラグレーンはステファングラッペリ、ベニーグッドマン、
そしてベニーカーターなどの世界的に有名なジャズミュージシャンに会った。
1984年、彼はニューヨークでラリーコリエルに会った。
その後、彼はベーシストのJaco Pastorius(ジャコパストリアス)と活動しジャズ・フュージョンに傾倒する。Jaco Pastorius(ジャコパストリアス)との活動はビレリラグレーンの音楽的解放に大きく貢献し、ヨーロッパでは、ツアーを行う。
ジョン・マクラフリンやアルディメオラなど数々の有名アーティストとのライブ演奏もしている。
ビレリラグレーンは、2002年に『Gipsy Project and Friends』でまたマヌーシュジャズに原点回帰している。

◆ベルギー

Gus Viseurギュス・ヴィズール(1915 – 1974)

ベルギーで1915年5月15日生まれ- パリ1974年8月25日に亡くなる。
1930年代のスイング時代に、ミュゼットの名手だった。
彼はチャールズドローネが企画して有名な「 Hot Club de France」のメンバーの時はジャズもプレイしていた。
Gus Viseur(ギュス・ヴィズール)は、パリの街でプレイして彼のキャリアが始まった。
彼はボタンアコーディオンから素晴らしいサウンドを得ることができた。
それは彼が何かを革新していたことが明らかになった。彼はマヌーシュとして知られている
アコーディオンジャズのスタイルを確立した。
ジャンゴラインハルトとフランスのホットクラブの伝説的なクインテットと共演が彼の人生の重要なファクターとなる。
信じられないほどのすべての異なる音楽ジャンルの即興演奏能力があった。
数多くの録音に加えて、Gus Viseurギュス・ヴィズールはまた、キャバレーやナイトクラブでライブを行った。
1937年に彼の最初のレコードを録音し、1940年にエディットピアフに同行した。
ワルツ、タンゴ、パソドブレ…彼はミュゼットのレパートリーのすべてのジャンルを録音する。

◆イタリア

Tony Murena(1917 – 1970)

1917年イタリアのパルマ州ボルゴヴァルディタロで生まれる。
Tony Murenaは、優れたアコーディオンの名手、優れたバンドネオン奏者です。
彼の作品は、アコーディオンの遺産とも言われている。
1923年彼の両親は、多くのイタリア人のようにフランスに移住した。
家族はノジャンシュールマルヌに移動します。
叔父に9歳の時に”faire les bals”を練習曲としてにアコーディオンを始めた。
彼は1932年にバンドネオンを学び、タンゴをプレイし始めた。
そのプレイはRafaël Canaro (カナロラファエル)とet d’Eduardo Bianco(エドゥアルドビアンコ)の
タンゴオーケストラに入っている。
Matelot Ferret(マテロ・フェレ)と頻繁にプレイしている。

◆ドイツ

Joscho Stephan ジョシュオ・ステファン(1979 – )

Joscho Stephan(ジョシュオ・ステファン)
1979年6月23日ドイツのメンヒェングラートバッハ生まれ。
6歳の時彼の父ガンターステファンにギターを習う。
その後15歳の時クラシックギターの学校に入学。
ジャンゴラインハルトのスタイルを学ぶ。
父ギュンターステファン(リズムギター)、マックスシャーフ、ラルフイェイガーとジプシースイング音楽のカルテットを結成する。
現在精力的に活動中。

◆アメリカ

Stephane Wrembel ステファン・レンベル

ニューヨークを拠点に活躍するフランス人ジプシーギタリスト、Stephane Wrembel。
自身のトリオでのアルバムや、ゲストミュージシャンとしてのレコーディング、
はたまたジプシージャズの教則本製作など幅広く活躍するバークレー出身のインテリ派ギタリスト。